まるべり98ブログ

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1日2食 続き2

30代後半で今まで続けていた運動を一切やめました。それまで1日4~4.5食くらい食べていた私は、食生活を見直すことにしました。

 

1日3食が普通でしょう。御多分にもれず私も10代まではそうでした。しかし、昔からどうにかならないものかと思っていたのが、昼食後の睡魔により午後の生産性が下がることでした。そこで昼食を抜いてみることにしました。手始めに土日にやってみて思いのほか快適でした。それで平日でも試してみて、仕事に支障がないどころか、食後の睡魔がない分、午後もすっきりとした気分で仕事できるではないですか。ただ昼食べない分、朝は以前よりもしっかり食べるようになり、1日の総カロリーほはそんなに変わらないかもしれません。

 

この1日2食が自分の中で定着したことにより、1日3食は本当に正しいのかと思うようになりました。そこで、食事と健康に関する本を読み漁りました。定番は、朝昼はしっかり食べ、夜はほどほどにし、特に就寝前の数時間は何も食べないというやり方でしょうか。そういう一般的に良いといわれる食習慣を推奨するものが多い中、1日1食を推奨するものや、時々断食により消化器系を休ませるべきといったものもありました。

 

極端だなあと思いつつ、1日1食や、時々1日何も食べないといったことを実践してみました。1日1食は実際は食事の代わりに酵素系の飲み物を摂取して、食べない分別の方法で栄養を取り入れる必要があるようです。そういったものを用意する手間を考えると、普通に2食食べたほうがいいなという結論に達しました。ただ1か月に1度くらいは1日1食をすることにしました。休日限定ですね。酵素飲料は摂取しないですが、1日食べないくらいで体は何ともありません。消化器系を休ませるいい機会ではないではないでしょうか。

 

今では1日2食を10年ほど続けていますが、で非常に快適な生活を送れています。病気もなく、体形も運動していた時とほとんど変わりません。体重はかえって落ちました。適度な空腹感が生まれるので、毎回食事が楽しみになります。

 

1日3食という常識を破ってよかったとひしひしと思う今日この頃です。

1日2食 続き

1日2食の食生活は、もう10年くらい続けている。始めた理由は大きく分けて2つある。運動をやめたことと、少食をすすめる本を読んだことだ。

20代から30代にかけて、空手をやっており、1週間のうち6日は体を動かしていた。1日おきに道場に通って稽古し、道場に行かない日は自宅近くのスポーツクラブに通い、ランニングマシンで10㎞走った。そして日曜だけが完全休養日であった。

そのころはよく食べた。3度の食事はもちろんのこと、運動前後の栄養補給も欠かさなかった。毎日相当なカロリーを消費したが、同時にそれ相応の摂取もしていたわけだ。

しかし、30代も終わろうとするころ、諸事情により、一切の運動をやめてしまった。消費カロリーが極端に減っていったわけで、出るものが少ないのに多く摂取してはまずいだろうと、食べる量を少しずつ減らしていった。これが1日2食のきっかけの一つである。

 

もう一つの理由はまた明日といたそう。

1日1食

もともと1日2食の生活である私が、金曜の夜から1日1食である。今日曜の夜で、これで3日目。たまにこういうことを私は行っている。

 

普段の1日2食は、起床時にたっぷり朝食をとり、職場の昼休みは何も食べず、帰宅後は軽い夕食で済ませるというやり方だ。夕方少し空腹感を覚えるが、間食をするわけでもなく、仕事に支障をきたすこともない。

 

これが1日1食となると、朝食のみとなり、就寝時はかなりの空腹感に襲われる。ただ寝付きはよく、朝は早くすっきりと起きられる。早く食べたいという本能がそうさせるのか、夕食をとったときよりも早起きとなる。

 

この1日1食はあくまで休みの日限定で、平日は1日2食であるが、しっかりと食べている。

 

なぜこのような食生活をしているのか、明日お話したいと思う。

高千穂の峰

地元都城市は山に囲まれた盆地である。夏はとても暑く、冬はとても寒いというのが特徴だ。特に冬の朝の寒さは体にこたえる。

 

南国宮崎らしからぬ寒い冬の都城市であるが、平地で雪が降ることはほとんどない。周辺の山々でさえ、雪化粧になることはない。山頂付近にうっすらと白いものが見えることがごくまれにある程度である。

 

そんな山に囲まれた都城で、ひときわ目立つ存在なのが、霧島連山の中の高千穂の峰だ。とても形が美しいのだ。

 

そもそも形を認識できる山自体が世界中を見渡してもそうそうないように思える。日本を代表する山といえばもちろん富士山。標高3,776mの日本一の高さだけではない。その美しさが人々の心をつかんでいるのである。それが証拠に高い山は世界中にある。ヒマラヤをはじめ、8千m級の山がいくつもあり、富士山なぞ足元にも及ばない。それでも世界中から富士山見たさに観光客が来日する。それは富士山に形があり、それが美しいからであろう。

 

ヒマラヤといっても形がはっきりしないではないか。世界中、高さで認識する山はあっても、形で認識する山はほとんどないように思える。

 

形ある日本の富士山であるが、都城から見える高千穂の峰も、世界有数の形ある山であり、とても美しい。

 

そんな美しい山を毎日拝むことができる幸せを今かみしめている。

 

 

春よ来い

今日は天気はいいが寒かった。

昼休みに外に出たが、思わず肩をすくめ、両手をポケットに突っ込んでしまう。

やっと冬の半分が過ぎた。寒がりの私にとって、この季節はとても過酷だ。春がまちどおしくてしょうがない。

年々時間が経つのが早くなり、この待ち遠しいと思う期間が短く感じられるようになって来ている。より早く春を迎えられる感覚なのでありがたい反面、より早く人生の人生の執着へ向かっているとも言え、なんとも複雑な気持ちだ。

いなくなって初めてその人のすごさを認識させられることがある。

自分にとって、日本人横綱の引退記事を読んでそう思いました。

 

苦労しての遅咲きの横綱だったんですね。横綱になるまでは1日しか休場がない鉄人であったことも初めて知りました。それが横綱昇進後のけがで休場ばかりとなりました。

 

鉄人が何場所も休場する事態ですから、相当なけがだったのでしょう。

 

出世後に満足に活躍できずに引退に追い込まれるとは、ご本人もさぞ無念な思いでしょう。

 

このような経験から、将来は指導者として立派な力士をたくさん作ってください。期待してます。

 

 

私の住んでいる地域は南国宮崎だが、海寄りではなく山寄りで、冬は宮崎にしては寒い。朝晩は特に底冷えする。今宵がまさにそうだ。

 

日中も日が曇ると気温が上がらない。日が出ても冷たすぎる空気にふるえてしますことが多い。

 

ただ日差しが強いのは確かだ。ありがたいことに我が家には太陽熱温水器があり、天気さえよければ真冬でもそれなりにお湯が出る。ただ熱いというレベルに行くことは少なく、ぬるま湯程度である。

 

こんなぬるま湯じゃ寒くて入れないと、去年までは冬は中途半端な水温の太陽熱ではなく、通常のガスで熱々のシャワーを浴びていた。ちなみに私は冬でも浴槽にお湯を張らず、シャワーで済ませる。

 

しかし、いくら熱々のシャワーでも、なかなか体は温まらなかった。

 

それではと思い、今年の冬はぬるま湯だろうが、太陽熱温水器を使うことにした。場合によっては限りなく水に近いお湯の場合もあるが、あまり気にならないことに気づいた。結局、たとえお湯の温度が低くとも、外気より高ければ体が暖かいと感じるのだ。この気づきにより、冬でもほぼ毎日太陽熱温水器を使うようになった。

 

朝晩と1日2回シャワーを浴びる習慣のある私は、それにより夜は気持ちよく布団に入ることができ、朝はすっきりと目覚めることができる。

 

お天道様に感謝感謝である。